ナパワインクラブ - カリフォルニアワインを楽しむ会


ナパワインの歴史

アメリカのワイン全生産量の90%をカリフォルニア州が占め、中でも代表的な存在として挙げられるのが、ナパワインです。
ナパヴァレーは、南北に走る2つの山脈に囲まれた盆地であり、その地学的構造から多様な栽培環境が存在します。現在、大小様々なワイナリーが400以上あり、これらワイナリーや葡萄畑では、カベルネ・ソーヴィニオン(赤)やシャルドネ(白)種を中心に、伝統的な技法と最先端の情報や技術を組み合わせ、ワールドクラスのワインを生産する産地として、世界中で高い評価を得ています。
ナパヴァレーの歴史は、ワポ族インディアンに遡ります。1830年代以降の創始期、1920年代の禁酒法時代、1930年代の復興期を経て、1976年パリ万博ブラインドテイスティングでは、ボルドーやブルゴーニュの名門ワイナリーを押さえて第1位の栄冠を獲得し、今日の発展に至っています。

ナパヴァレーに最初に住みついたのはワポ族インディアンといわれており、彼らにとって「ナパ」とは「豊潤な地」を意味しました。河川には鮭などの魚、平地には熊などの動物が野生し、野生の葡萄も豊かに実っていました。

創始期

1836年、ジョージ・ヨーントが現在のヨーントヴィルに初めて葡萄畑を開墾したのを契機に、ジョン・パチェットが初めて商業ベースの葡萄畑を開始、更に1861年、チャールズ・クルッグが初めて商業ワイナリーを設立しました。その後、シュラムズバーグ(1862年)、ベリンジャー(1876年)、イングルノック(1879年)などが設立され、ワイン産業は急成長を遂げました。しかし葡萄の過剰生産による価格急落、加えてフィロキセラ病原虫禍により、ナパヴァレーのワイン産業は大きな打撃を受けました。

禁酒法時代

1920年、禁酒法が発令され、礼拝用や医療用ワインの生産のみしか認められませんでした。葡萄畑は放置され、多くのワイナリーは廃業せざるを得なかったのです。ようやく1933年に禁酒法が解除されると、ワイン産業は徐々に復興し、成長を始めました。

発展期

1950年代以降、ヨーロッパ料理がアメリカに流入し、ワインの需要も増加しました。ナパにおいても多くのワイナリーが誕生し、また、弁護士・学者・医者などが趣味で小さなワイナリーを構え、ワインを造るようになりました。品種改良と技術革新が進められ、より良いワインへの探求が積極的になされました。

1976年、パリ万博のブラインドテイスティングで第1位に輝いたことで、ナパワインの知名度と人気は飛躍的に高まり、今日の発展へ至っています。